オシムの教え

 今日は同期と飲み会でした。彼らは散々、上司の能力の無さをわめきちらし、最後は夜の街に繰り出して行きました。きっと今頃、そういったお店で自分より若い女性相手に頑張っているのでしょう。
 私は、才覚も努力する力もありません。だからサッカー元日本代表監督イビチャ・オシム氏が私の上司になったら、耐えられないと思います。
 だけど、彼の言葉で一つだけ守らなければいけないと感じていることがあります。
 「誰かを<不要だ>という人間は、いつか自分もそういう立場に陥るようになる。人生はそういうものだ。その時、自分はどう感じるか、考えてみるがいい。(朝日新聞2004/11/23・朝刊)」。
 私は、しょぼいサッカーのプレーに対してはしょぼいと言うし、駄目なアニメには駄目だとこのブログではっきり書いてきたつもりです。もちろん書いた以上、説明責任が伴います。
 だけど、酒の席で自分の上司を「役に立たない」「無能だ」とずけずけという人間を私はあまり信用できません。少なくともそう言った後、夜の街に繰り出すなんて酷いにもほどがある。
 私も彼らと変わらないのかもしれない。いや、もっと酷いのかもしれない。だけど、私は何も理由もなく誰かを不要だと言いたくありません。
 夢物語かもしれませんが。