じゃあ

 家族関係も仕事関係も具茶具茶でどうしようもありませんが、私の精神状態は比較的上向いてきたので、メールアドレスを知っている友人に「私を励まして」メールを全員に送りました。
 約10名に同じような文章を出したのですが、一つ興味深い返信がありました。「なんで私なのですか?他にも適任はいるのでは?」その人には「実はコピー文ばらまきなんですよ」と返信しましたが。
 でも、「携帯の電話帳の友人グループに入っていない人が友人でないならば何だというのだ。私が辛いときにメールを送信することすら出来ないならばそれは友人と定義していいのか。半年に一回くらいはメール交換して生きているかどうか確認しあうことすら許されないなら、その人は私のなんなのだ」。
 コピー文ばらまきは良くはないよ。だけど、私はまだ電話帳に書かれた友人は友人だと思っています。社会人になって会うことはめっきりなくなったけど、確かに私の人生の中には彼等がいた。電話帳はその証です。
 いざというとき使えない電話帳は電話帳ではない。ただの文字の羅列です。私はおかしいこと書いてますか?