殴られて良かった?

 母が、「私(母)に殴られたり、クラスメイトにいじめられたり、といった過去があるからあなた(このブログを書いている人間)の今があるのでしょう」という言葉がどうもひっかかります。
 殴られたことやいじめられたから今の自分がある、だから良かった。ということが認められてしまえば、それは暴力やいじめを肯定してしまうことになってしまうのではないでしょうか。
 

 受け売りになってしまいますし、私とはスケールが違いすぎることは覚悟で、前日本代表監督のイビチャ・オシム氏の語録を。
 確かにそういう所から影響を受けたかもしれないが……。ただ、言葉にする時は影響は受けていないと言ったほうがいいだろう。
そういうものから学べたとするならば、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が……。(悲惨な隣人殺しの戦争や艱難辛苦によって、現在のオシム監督が得たものが大きかったのでは?」との質問に対して。)


 直ぐに自分の意見を変えて、最低人間と言われる私ですが、20年くらいあるスタンスだけは変えていません。「一方的な暴力を使用する人間は最低である」。