過去ばかり気にしても?

 昨日、母に「小学生時代に長男(私)を殴っていた理由は、わからない。まあ、ヒステリーだったのではないの」と言われて私の怒りは未だに収まりません。
 確かに、私は30歳になって仕事はしていますが、パラサイトシングルで家事をやらず(やろうとすると母は必ず怒る)、何年も精神安定剤に頼っているにも関わらず休日になると平然と遊びに行きます(そうすることでなんとかギリギリ心の平穏を保っている)。
 でも、ずっと苦しんできたのは事実なのだからやっと「自分の過去になにがあったのか」ということに目を向けようと思ったのに、決死の思いで母から聴いた過去の核心である「何故自分は母親から暴力を受けなければいけなかたのか」ということに対しては「わからない」という答えしか待っていませんでした。
 小学校の時の私は殴られたことに対して、「私が悪いから殴られたんだ」と感じていましたし、昨日の17時までは「きっと殴ったことは思慮深い理由があったはずだ」と感じていました。でもそれは違いました。ただ単に怒りに任せて殴っていただけでした。
 そして母は私に止めの一言。「あんたは過去の事ばかり気にして未来の事を考えていない。人生は今日を懸命に生きることでしか道は開かない」。これでは私は何のために殴られていたのでしょうか。
 私は懸命に「許す・許さないは別として過去の整理はしなくてはいけない」と訴えました。ですが母は「あんたの性格からすれば絶対に他人を許さないでしょう。気に入らないのならば、過去に自分をいじめた人を探して謝らせていけばいいじゃない」。
 私は過去の整理もしてはいけないのですか。でも私の中での整理はある程度付いたと思います。私の人生を破壊した人たちは私の人生を破壊したことを何も悪いと思っていないということです。
 もう一度書きます。自分が酷いことをした他者を「許すor許さない」は「他者にとっては何の意味もありません」。あくまでも自分の心持ちの問題です。
 私は理由が欲しかった。殴られた12歳の自分がどんなに悪いことをしていたのか。そして理由は手に入ったのです。悲しかったことは懸命に追い求めていた答えなんか無かったという現実だったことです。