生贄の羊は生きている人間に悪夢を見せるか?

 数ヶ月前は「いじめ自殺」が毎日のように多くのメディアの記事に載っていましたが、いつの間にか沈静化してしまいました。私の記憶では10年ほど前もいじめについて毎日のように載っていたような気がするのですが、あの時も今と同じように数ヶ月で沈静化してしまったような気がします。いじめの数や、自殺する人はおそらく(実数では)減っていないと思うのですが。なんというか「恣意的」なものを感じるのですが、勘違いでしょうか。
 
 ざっくり結論から言ってしまうといじめは無くなりません。なぜならば、集団をまとめるため集団内に特定の個人・グループに攻撃を加えるスケープゴートという手法はそれこそ学校だけではなく、家庭・企業・国家間とありとあらゆる組織に歴史上で使われているからです。例えば「難癖つけて空爆を仕掛ける」ことは広義のいじめと言うことができるでしょう。

 私は時々ふと考えるのですが、、もし自殺した人が「○○さんにいじめられました」と書かれていた場合、そして仮に裁判等で「いじめはなかった」と無罪になったとしても素人目には明らかな証拠がある(例としてバターを塗られた教科書から指紋が出た・木にひもをくくり付けそれに首を通すゲームに使われたひも・回覧された遺書の筆跡が明らかに自殺した人のモノではない、等)場合、○○さんはその後の人生の進学・就職(転職)・結婚などに影響が出たり、家族が村八分にあったり(家族を村八分にすることが正しいかどうかは別議論)、にならないのでしょうか。

 「いじめられる人間にいじめられる論理が存在する」という人がいますが(私の周りにもいた)、そういった人から「いじめる論理」を聞いたことは一度もありません。彼らは「役に立たない人間を社会に変わって私が始末しているのだ」とでも言うのでしょうか。